伊助のよもやま話
四代目孫息子 先日突然、孫にどうして竹材商を営むようになったのかと聞かれ、私の父の話をした。 息子と孫が竹屋の後を継ぎ仕事に励んでいるのだから、我が家系のために知らせておくのも私の責任だろう。 昔も今も変わらぬが、世の習いで田舎の貧苦は大変であった。私の祖父は三重県の片田舎、伊賀名張で郵便配達員として家計を立てていたが、四人の子供を養うのに大変で長男(私の父)を奉公に出す考えをしていた。 名張にやって来た京都からの行商人に問い尋ねると話はすぐにまとまり、京都へ奉公に上がることになった。 そこは、竹材業界でも有名な竹材問屋で、常に十数名の使用人がおられた。丁稚として送られてきた父が、帰郷する際に前借りをした金額は五円と聞いたが、定かではない。 明治35年13歳で入門した父が20年間つとめた後、その問屋に後継者がいなかったこともあり、そこに納まることになった。当時の権利金が十円と聞いたが、それも定かではない。 そこで一生懸命に商いに務め、私たち子供五人を育て、私が後継となり現在がある。 父からは、修行時代の苦労話を良く聞かされた。昔の苦労も今の苦労も、その時々でやらなければならない事を本気で頑張れば同じだ。 二代目の私も父に負けずに一生懸命働き、竹材商を続けてきた。幸いなことに息子が三代目、孫息子が四代目として後を継いでくれている。 奉公につとめた初代の父の苦労は報われ、喜んでいるだろう。 |