伊助のよもやま話


会長

竹は涙か  溜め息か

昭和20年8月15日終戦、これで終わったなと思った。しかし、心の中では不安だった。軍隊に入営してからちょうど5ヶ月経って、まだ新兵(一つ星)の可愛い兵隊で叱られてばかりの毎日だった。
終戦後、早く帰りたい気持ちの中、9月1日まで残務整理をして、やっと帰ってきた。当然、世の中の空気はあんまり良くはなかった。その間の事は書きたくない事ばかりだ。とにかく親のいる京都へ帰ってきて、昔からの伝統の竹屋をすることに定めたが、先ず仕事はない。食べる物はない。生活に困って食べることに走り、なんとかつないでいる毎日だった。
私は、竹屋はだめだ、これでは食って行けないと嘆いた。夜になるとあちこちに闇市が横行して、青い灯赤い灯の処が現れ、どこからか、酒は涙か溜め息か、と……、夜の景色を見過ごしてきた。今まで親がやってきた竹屋をここで止めてはと、歯を食いしばってなんとか続けた。材料も良い悪いは関係なく、自分たちの手で切って集め、とにかく燃料として細かく切って売っていた。これは、今思い出しても良い笑いの種になるでしょう。
そうこうしている内に、皆が自給自足で畑を作り出し、その囲いの竹を用意するのに追われるようになった。また、アメリカ進駐軍が色々な土地を接収して駐在するようになり、その囲いの竹垣にも追われる毎日となった。その仕事に喜んで行くのは、食事付きに惹かれ???、今思えば浅ましいことでした。
その後、各地で焼け跡の整理が始まり、復興建築の材料として竹が割安で、よく動くようになってきた。それを見て、その方に力を入れ、少しずつ息を吹き返して、毎日毎日一所懸命の努力が今を作った。
竹屋をしていて良かったと思っているが、やり過ぎは怪我の元、今また難しくなってきた。昔の苦しかった思い、良かった思いを忘れず、頑張って行きたい。今、心強いのは、皆がついてきてくれること。
“酒は涙か、溜め息か”と歌ったものだ。



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