京都新聞 2009年11月23日(月)
黄門様40年京が支えた
東映撮影所内外の職人ら
写真
ご老公の杖を作る横山さん(京都市上京区)

テレビ時代劇「水戸黄門」シリーズの放映が始まって40年を迎えた。京都市右京区太秦の東映京都撮影所で撮られ続けてきた国民的番組は、撮影所の内外を問わず、多くの人が支えてきた。ご老公の諸国漫遊は助さん、格さんだけでなく、京都でものづくりをする人が裏方となり助太刀してきた旅でもある。

■杖

黄門様が旅の供に使う杖(つえ)は、上京区の横山竹材店が作っている。「国民的な正義の味方を支えている。そりゃあ誇りです」。今も作業場に立つ横山伊助会長(85)は話す。

握りやすい西京区大原野の亀甲竹から、黄門役の体格に合った太さを厳選してきた。毎週の放送では「印籠(いんろう)より杖に目が行く」。80歳を超え、自身も杖が欠かせない。もちろん竹製。「みんな竹を使わなくなったが、時流に流されない良さがある。黄門様と一緒や」。笑い声はご老公並みの貫録(かんろく)に満ちていた。

■印籠

「この紋所が目に入らぬか」。悪人もひれ伏す印籠は普段、桐(きり)箱に入れて、撮影所の金庫に保管されている。かつては京都でも作られていたが、4年前から使われている8代目印籠は、輪島塗の職人若島宗斎さん(69)=石川県輪島市=が2年がかりで製作した。

「ハイビジョンでも映えるものを」との依頼で、黒漆を重ね、葵の紋は盛り上がりのある蒔絵(まきえ)を金で施した。「テレビでは照明が当たって一層輝く。全国放映で、若い職人の励みにもなる」と絶大な威光に敬服する。

■団子

名脇役だった「うっかり八兵衛」や現在の「ちゃっかり八兵衛」がおいしそうにほおぼる団子は、撮影所向かいの和菓子店「太秦庵」が作っている。撮影用の菓子の多くを任される店主の松本喜三郎さん(74)は、劇中の菓子屋の手元作業のシーンに何度も出演している。「スタッフの一員という感覚。視聴率も気になります」

■勧善懲悪の時代劇不滅

水戸黄門シリーズは大阪万博の前年、1969年に始まった。撮影を手掛ける東映太秦映像の責任者だった神先頌尚(かんざき・ひろなお)さん(78)=右京区=は「高度経済成長の日本で失われつつあった家族を撮ってきたから茶の間に受け入れられた」と強調する。黄門がおじいさんなら、助さん、格さんは孫。「祖父が孫と旅をして人を助ける。必ず人情を入れてホームドラマ的な時代劇を心掛けた」

当初は邦画の全盛期を支えたスタッフが多かった。テレビの台頭で映画制作が減る中、テレビドラマの撮影に引け目もあった。しかし「負けんとこうと思って、みんなで一生懸命、夜中まで撮りました」。79年に記録した視聴率43%は今も時代劇のトップを誇る。

近年は視聴率が10%前後に伸び悩む。1作目から衣装を担う植田光三さん(72)=山科区=は「昔は呉服店に行けば、時代劇にも使える着物がいっぱいあった。今は特注している」と時代の移ろいを語る。それでも「時代劇は不滅。勧善懲悪の心は日本人から決して抜けない」と信じる。